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2011年06月13日

「沖縄で力をもらった。精神的に落ち着いた」

沖縄の愛を力に 避難所支援続ける夫妻
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-06-12_19095/


【宮城県で新垣亮】東日本大震災で宮城県山元町の坂本博光さん(67)と武美江さん(65)夫妻は津波に家ごとさらわれた。沖縄に一時避難した後、同町に戻り、今は仮設住宅で身を寄せ合う。「沖縄で力をもらった。精神的に落ち着いた」という夫妻。被災者でもありながら、博光さんは避難所を回るボランティア活動にも励んでいる。

「沖縄で力をもらった。精神的に落ち着いた」

「沖縄で力をもらった。精神的に落ち着いた」

坂本さん夫妻が1DKの仮設住宅で生活を始めて1週間がたつ。隣の部屋の声も聞こえてくる。台所も手狭で、効率よく家事はできない。博光さんは「寝起きするだけの部屋なんです」。窓を開けると顔見知りがいることが救い。

震災があった3月11日。夫妻は自宅にいた。激しい縦横の揺れが重なり、みこしに担がれたようだった、と博光さんは振り返る。民生委員でもある博光さんは一人暮らしのお年寄りに避難を呼び掛けるため車を走らせた。巡回はいつも一人だが、武美江さんを乗せ、14人の安否確認に出向いた。

2人のお年寄りに「危ないから車に乗って」と声を掛けるも、「(津波は)来るはずないよ」と避難を拒まれた。一通り、声を掛けた後、海の方向から聞こえてきたのはバリバリバリ、という不気味な音。とっさに夫妻は役場まで逃げた。次の日に近所の人から聞かされた。「あなたの家は消えていたよ」

25キロほど離れた娘夫妻宅に避難した。避難を拒んだお年寄り2人を含め担当の4人が遺体で見つかった。

夫妻は身も心もぼろぼろになり、娘の勧めもあった沖縄への避難を決めた。沖縄では宮城県人でつくる「萩の会」メンバーらの支援を受けた。ホテル住まいだったが、従業員の気遣いに温かさを感じた。2週間の滞在中に仮設住宅入居が決まり、山元町に戻った。

博光さんは今、避難所回りを続けている。避難者に足りないものを届けたり、健康管理のためにダンベル体操を指導したりしている。いつ仮設住宅から出ることができるか、これからの生活はどうなるか。

不安はよぎるが、「沖縄への恩返しはいつか必ず」。その思いを支援者に伝えたいという。芽生えた感謝の気持ちが二人の新生活の支えになっている。


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恩返しは考えないでほしいです。
恩返しというなら
被災された方々が安心して暮らせていることが、恩返しです。
それで私たちは嬉しいんですから。

まだ癒えないと思いますが、じょじょに良くなっていくと思うので、1日1日進んでいきましょうね。
遠く沖縄からですが、いつも気持ちはそばにあります。
ともにがんばっていきましょう。




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Posted by 沖縄大好き! at 14:00 │東日本大震災・復興