

2010年05月17日
ソ連による戦争犯罪
歴史さんのブログ
本当の日本の歴史より全文転載させていただきます。
http://ameblo.jp/create21/entry-10530244113.html
快く画像をお貸ししてくださいました歴史さん
本当にありがとうございますm(_ _ )m
私たちが習って来た学校の歴史教育は一体なんだったんだろうと思います。どうしてウソを教えたのだと怒りさえ覚えました。
これからは本当の日本の歴史を学んで自虐史観から抜け出し、日本人として誇りを持ち、勇敢な先人たちが残してくれたこの日本を、今度は私たちが子や孫の為に日本を護り、日本は素晴らしい国、日本人は素晴らしいと伝えていきましょう!そうすれば子や孫たちが誇りある日本をまた次の世代へと引き継いでいくのです!
誇りを持てない国は必ず滅びます。
ー転載ここからー
1945年2月4日から11日にかけてのヤルタ会談により、
8月8日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、
敗戦確実な日本に対し、火事場泥棒的に対日宣戦布告をしました。

ヤルタ会談、左からチャーチル、ルーズベルト、スターリン
8月9日、ソ連は、満州、樺太南部、千島列島に侵略を開始しました。
日本人民間人がソ連兵の略奪、暴行の餌食となり、
軍民約60万人が拉致、連行され、強制重労働により約6万人が死亡しました。

武装解除され集められた日本兵
ソ連は、「早期に捕虜を本国に送還する」というポツダム宣言を破り、
戦争犯罪を犯したのです。
8月23日、スターリンは、
「強制労働に耐えうる健康な捕虜50万人を選別する。
捕虜を1000人ずつの建設大隊に編成する。
捕虜の被服や寝具は戦利品から調達する事」と命令を下しました。
軍人に限らず、軍属・満州国政府や満鉄の日本人職員、
そして従軍慰安婦などの女性5000人も強制連行されたのです。
日本の民間人達は重労働に狩駆り立てられ、連行された日本女性は、
現地の女性を強姦するというソ連軍の習性により恥辱の対象とされました。
日本人捕虜を捕獲連行した理由は、無料のの労働力にする為でした。
日本軍民の収容所はシベリア以外にもモンゴル、中央アジア、
ウクライナ、モスクワ近郊を含むロシア、
そしてヨーロッパ各地に置かれました。
ハーグ陸戦法規やジュネーブ捕虜条約を違反し、
捕虜となった方々は、食糧や医療も不十分で極寒の中、
危険で厳しいさまざまな作業に酷使されました。
石炭・石油の採掘、木材の伐採、河川・港湾の整備、鉄道の建設、
各種工場での労働、農場での労働をさせられ、
目標を達成できない場合は労働時間の延長、
減食などの懲罰をされたのです。

ソ連が捕虜とした外国軍民は、
ドイツや日本をはじめ412万人にものぼっています。
本当の日本の歴史より全文転載させていただきます。
http://ameblo.jp/create21/entry-10530244113.html
快く画像をお貸ししてくださいました歴史さん
本当にありがとうございますm(_ _ )m
私たちが習って来た学校の歴史教育は一体なんだったんだろうと思います。どうしてウソを教えたのだと怒りさえ覚えました。
これからは本当の日本の歴史を学んで自虐史観から抜け出し、日本人として誇りを持ち、勇敢な先人たちが残してくれたこの日本を、今度は私たちが子や孫の為に日本を護り、日本は素晴らしい国、日本人は素晴らしいと伝えていきましょう!そうすれば子や孫たちが誇りある日本をまた次の世代へと引き継いでいくのです!
誇りを持てない国は必ず滅びます。
ー転載ここからー
1945年2月4日から11日にかけてのヤルタ会談により、
8月8日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、
敗戦確実な日本に対し、火事場泥棒的に対日宣戦布告をしました。

ヤルタ会談、左からチャーチル、ルーズベルト、スターリン
8月9日、ソ連は、満州、樺太南部、千島列島に侵略を開始しました。
日本人民間人がソ連兵の略奪、暴行の餌食となり、
軍民約60万人が拉致、連行され、強制重労働により約6万人が死亡しました。

武装解除され集められた日本兵
ソ連は、「早期に捕虜を本国に送還する」というポツダム宣言を破り、
戦争犯罪を犯したのです。
8月23日、スターリンは、
「強制労働に耐えうる健康な捕虜50万人を選別する。
捕虜を1000人ずつの建設大隊に編成する。
捕虜の被服や寝具は戦利品から調達する事」と命令を下しました。
軍人に限らず、軍属・満州国政府や満鉄の日本人職員、
そして従軍慰安婦などの女性5000人も強制連行されたのです。
日本の民間人達は重労働に狩駆り立てられ、連行された日本女性は、
現地の女性を強姦するというソ連軍の習性により恥辱の対象とされました。
日本人捕虜を捕獲連行した理由は、無料のの労働力にする為でした。
日本軍民の収容所はシベリア以外にもモンゴル、中央アジア、
ウクライナ、モスクワ近郊を含むロシア、
そしてヨーロッパ各地に置かれました。

ハーグ陸戦法規やジュネーブ捕虜条約を違反し、
捕虜となった方々は、食糧や医療も不十分で極寒の中、
危険で厳しいさまざまな作業に酷使されました。
石炭・石油の採掘、木材の伐採、河川・港湾の整備、鉄道の建設、
各種工場での労働、農場での労働をさせられ、
目標を達成できない場合は労働時間の延長、
減食などの懲罰をされたのです。

ソ連が捕虜とした外国軍民は、
ドイツや日本をはじめ412万人にものぼっています。
Posted by 沖縄大好き! at 07:00
│歴史 ロシア