2012年05月27日
故中川昭一氏に一服盛ったのは誰か?それは…!
☆ 宝石箱 ☆さんを転載します。
●「超拡散《故中川昭一先生の酩酊記者会見の闇を知る
原聡子が「バンキシャ」に出演》
■日本人の忘れやすい性格を逆手にとって、
あのイタリアでの「仕組まれた酩酊記者会見」の裏側を見ていた
日テレの原聡子記者が、ほとぼりが過ぎたと判断してか。
ノコノコと日テレ日曜日の「バンキシャ」で、ニュース原稿を読んでいました。
当時、イタリアでの重要会議を終了して、
故中川昭一先生が軽い昼食を済まして記者会見に臨んだのだが、
その食事に同席したのは、
男性は中川氏と玉木林太郎財務省国際局長他1名、
女性は、日テレ・原聡子記者、読売新聞・越前屋知子記者他1名だった。
その時飲んだ赤ワインは、
6名で一本だけだったにも拘わらず、中川氏はあの状態に陥ったのです。
中川氏本人もあの一瞬自分がどうなっていたのか
「帰国してテレビを観てはじめてわかった」と、
中川義雄先生に語っていたのです。
誰れが一服もったのか。
当時のマスメディアは、異常を通り越し、
すべてが謀略機関に
成り下がっていたことを忘れてはいけない。
あの謀略報道がなければ、中川氏が死に至ることにならなかったのであり、
一服もった犯人は、
間接的に中川氏を殺した犯人になるからです。
あの記者会見後、
バチカン美術館で非常ベルを鳴らしたとか、
彫像に触れたとの報道もすべて嘘だったのです。
それは、
故中川昭一先生の叔父さんで参議院議員だった
中川義雄先生から聞いた事だが
「郁子さんにバチカン美術館を
最初から最後まで案内したバチカンの神父さんから手紙がきていて、
日本で報道されているようなことは一切なかった。
ずっと間近にいて一切お酒の匂いはしなかった」と、
綴られていたとのことでした。
皆様方は、
我が国のゴミマスコミと神に仕える神父さんのどちらを信じますか。
一国の財務大臣を失脚させたスキャンダルの現場にいた
ジャーナリストの原聡子記者と越前屋知子記者は、
国民に対する説明責任があるのだ。
ところが、越前屋知子記者は、帰国後姿を消したと思いきや、
米国へ転勤になり未だに隠れている状態です。
そして、原聡子記者は週刊誌などからの取材を逃げ回り、
未だに一切取材に応じていない。
よほど都合の悪いことを知っているから逃げ回っているのであろが、
ことは、我が国の将来の首相を嘱望されていた政治家を、
死に至らしめるきっかけのスキャンダルの現場にいた当事者として、
きちっと国民に説明責任を果たさないかぎり、
ノコノコ素知らぬ顔でテレビに出ることは許されないだよ原聡子記者。
覚醒されていらっしゃるインターネットユーザーの皆様、
原聡子記者と越前屋知子記者はジャーナリストですので、
説明責任を果たすまで絶対許してはいけません。
これからも逃げ回るのであれば、
地獄まで追いかけるしつこさが
日本人には必要なのです。
※「『南京の実相』を国内外のメディア 図書館等に寄贈する会」代表
ジャーナリスト水間政憲;ネットだけ転載フリー
《http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-591.html?cr=ba5237382c263b508786a3b46575c7c8》
(条件;上記全文掲載)
**************転載ここまで*************************************
ノコノコと「バンキシャ」に出演した原聡子
会見前に薬を入れたであろう越前谷知子
故中川昭一財務大臣朦朧会見を仕組んだロバート・ゼーリック
私はこの事を決して忘れないし、許せません!
ちなみにバチカンからの手紙の内容を紹介します。
●バチカン神父が見た“あの日”の大臣
バチカン放送局 神父 和田誠
私は今、日本から送られてくる報道に、
大きな戸惑いと、深い悲しみを抱いています。
私自身も関わった中川前大臣の博物館見学が、
何故あのように、事実と異なる形で報じられるのでしょうか。
私は見学の間中、
通訳として中川前大臣の最もお側近くにおりましたが、
報道のような非常識な行為を、見た記憶はありません。
また、中川前大臣はあの時、酔っているご様子には見えませんでした。
私はアルコールを一滴も受けつけませんので、その臭いには敏感です。
しかし中川前大臣からは、お酒の臭いはしませんでした。
以下、日本の報道のどこが事実と異なっているか、ご説明したいと思います。
今回の問題を最初に報道した朝日新聞に、こう書かれています。
《(バチカン博物館に)到着時から
中川氏の足取りはフラフラとおぼつかなく、
言葉もはっきりしなかったという。
案内役の説明を聞かずに歩き回ったほか、
入ってはいけないエリアに足を踏み入れたり、
触ってはいけない展示品を素手で数回触ったりした。
そのために警備室の警報が少なくとも一回なったという》
足取りがふらふらしていたかは、見る人の主観によるものでしょう。
しかし言葉がはっきりしなかったとは、
いったい誰が言っているのでしょうか。
見学の間中、中川前大臣とお話したのは通訳であった私です。
中川前大臣の言葉は、非常にはっきりしておりました。
「案内役の説明を聞かずに歩き回った・・・」というのも、
おかしな話です。
案内役とはイタリア人ガイドの事でしょうが、
彼女のイタリア語の説明を中川前大臣が聞けるはずがありません。
中川前大臣は、私の通訳を聞いていたのです。
私が通訳をしている間は、。
もちろん歩き回りなどしませんでしたし、非常に熱心に耳を傾けておられました。
「入ってはいけないエリアに足を踏み入れたり、
触ってはいけない展示品を素手で数回触ったりした」というのも、
私には大いに疑問です。
少なくとも私は、明らかに非常識とされる場面は目撃しませんでした。
一つだけ心当たりがあるとすれば、
朝日新聞の記事に出てくる次のような指摘です。
《バチカン博物館でも特に有名な、
「八角形の中庭」の「ラオコーン」像を見学した際には、
観光客が近づき過ぎないようにするための高さ三十センチのさくを乗り越えて
石像の台座に座るなど、非常識な行動をとったという》
この時の様子は、私も覚えています。
さくというのは誤りで、実際はロープでしたが、
中川前大臣がラオコーン像に見入るあまり、
ロープを越えて近づいたのは確かです。
このため、そばにいた警備員がイタリア人ガイドに一言二言注意しましたが、
中川前大臣はすぐ戻ったため、特に問題にはなりませんでした。
「石像の台座に触る」こともしていません。
記事が指摘するような「非常識な行動をとった」とは、
私を含め周囲の誰も思わなかったことだけは、述べておきたいと思います。
バチカン博物館は規模が大きく、普通に見学すれば五~六時間はかかります。
そこを一時間半ほどで見て回り、
しかも世界最大級の教会堂建築として知られる
サン・ピエトロ大聖堂まで見学したのですから、
相当な急ぎ足で、とても「フラフラ」できる余裕はありませんでした。
しかし、十分な時間はとれなかったとはいえ、
このときの見学は、とても有意義であったと私は思っています。
中川前大臣は私に、美術と歴史に関する事を、
とても気さくに話しかけて来られました。
お話の内容から、とくに古代ローマへのご関心が高いようでしたので、
私はイタリア人ガイドに指示して、
ローマ美術とそれ以前のエルトリア美術を展示してあるコーナーを
集中的にご案内しました。
私は通訳の役目を、十分に果たしたものと満足にしていました。
ところが一週間後、あのような報道がなされたのです。
この間、バチカンで中川前大臣の
「非常識な行動」が話題になった事は全くなく
(そもそも非常識な行動などなかったのですから
話題にならなくて当たり前ですが)、
それこそ寝耳に水の思いでした。
朝日新聞の報道ののち、
私は日本の新聞社、通信社、テレビ局から取材を受け、
事実かどうかと聞かれました。
そこで、中川前大臣の行動に非常識な点はなかったと
繰り返しご説明したのですが、
私の発言は一行も報じられませんでした。
日本のマスコミはすでに、
中川前大臣は酔っていたはずだ、非常識な行動をしたに違いない、
という先入観にとらわれており、
私の意見をまともに聞こうとはしなかったのでしょう。
どの報道も朝日新聞と似たり寄ったりだったことは、残念でたまりません。
中川前大臣には、ご同情申し上げます。
また、御家族をはじめ身近な人たちのご心痛を思うと、やり切れない思いです。
私はたまたま通訳として、今回始めて中川前大臣とお会いしましたが、
その場にいたものとして、
事実と異なる報道で苦しんでおられるのを見過ごすわけにはいきません。
このため取材にも積極的に応じてきましたが、
記者たちの先入観を改めることはできませんでした。
今はただ、バチカン観光における誤解が一日も早く解け、
皆さまに心に平穏が訪れるよう、祈るだけです。
正論2009年5月号 P100~101
--------転載ここまで---------
中川昭一氏の酩酊会見、失脚、死
すべて仕組まれていたんですね。
ロバートゼーリックが仕組んだかもしれませんが
その片棒を喜んで引き受けて、ウハウハで中川さんを罠にかけたのは
反日韓国朝鮮人が支配するマスゴミと反日どもですからね。
中川さんを失脚させた関係者ほとんどが昇進しているといいます。
仕組まれた殺人事件ってことですね。
中川さんは日本で唯一
中国韓国北朝鮮アメリカにはっきりものが言える政治家でした。
日本を愛し、日本人を愛し、
日本を守ろうと頑張っておられた政治家でした。
酩酊会見をおもしろ可笑しく見ては、中川さんをバカ扱いしていた日本人は猛省しないといけません。
ほんとにほんとに日本にとって、日本人にとって
大きな大きな財産を亡くしたんです。
にしても反日どもって、時間とともに中川さんのこと
日本人が忘れるとでも思ってんのかね?
原もノコノコテレビに出やがって。
忘れませんよ。
忘れないし、忘れさせないように
時期をみては、要所、要所で記事にして拡散していこうと思っています。
●「超拡散《故中川昭一先生の酩酊記者会見の闇を知る
原聡子が「バンキシャ」に出演》
■日本人の忘れやすい性格を逆手にとって、
あのイタリアでの「仕組まれた酩酊記者会見」の裏側を見ていた
日テレの原聡子記者が、ほとぼりが過ぎたと判断してか。
ノコノコと日テレ日曜日の「バンキシャ」で、ニュース原稿を読んでいました。
当時、イタリアでの重要会議を終了して、
故中川昭一先生が軽い昼食を済まして記者会見に臨んだのだが、
その食事に同席したのは、
男性は中川氏と玉木林太郎財務省国際局長他1名、
女性は、日テレ・原聡子記者、読売新聞・越前屋知子記者他1名だった。
その時飲んだ赤ワインは、
6名で一本だけだったにも拘わらず、中川氏はあの状態に陥ったのです。
中川氏本人もあの一瞬自分がどうなっていたのか
「帰国してテレビを観てはじめてわかった」と、
中川義雄先生に語っていたのです。
誰れが一服もったのか。
当時のマスメディアは、異常を通り越し、
すべてが謀略機関に
成り下がっていたことを忘れてはいけない。
あの謀略報道がなければ、中川氏が死に至ることにならなかったのであり、
一服もった犯人は、
間接的に中川氏を殺した犯人になるからです。
あの記者会見後、
バチカン美術館で非常ベルを鳴らしたとか、
彫像に触れたとの報道もすべて嘘だったのです。
それは、
故中川昭一先生の叔父さんで参議院議員だった
中川義雄先生から聞いた事だが
「郁子さんにバチカン美術館を
最初から最後まで案内したバチカンの神父さんから手紙がきていて、
日本で報道されているようなことは一切なかった。
ずっと間近にいて一切お酒の匂いはしなかった」と、
綴られていたとのことでした。
皆様方は、
我が国のゴミマスコミと神に仕える神父さんのどちらを信じますか。
一国の財務大臣を失脚させたスキャンダルの現場にいた
ジャーナリストの原聡子記者と越前屋知子記者は、
国民に対する説明責任があるのだ。
ところが、越前屋知子記者は、帰国後姿を消したと思いきや、
米国へ転勤になり未だに隠れている状態です。
そして、原聡子記者は週刊誌などからの取材を逃げ回り、
未だに一切取材に応じていない。
よほど都合の悪いことを知っているから逃げ回っているのであろが、
ことは、我が国の将来の首相を嘱望されていた政治家を、
死に至らしめるきっかけのスキャンダルの現場にいた当事者として、
きちっと国民に説明責任を果たさないかぎり、
ノコノコ素知らぬ顔でテレビに出ることは許されないだよ原聡子記者。
覚醒されていらっしゃるインターネットユーザーの皆様、
原聡子記者と越前屋知子記者はジャーナリストですので、
説明責任を果たすまで絶対許してはいけません。
これからも逃げ回るのであれば、
地獄まで追いかけるしつこさが
日本人には必要なのです。
※「『南京の実相』を国内外のメディア 図書館等に寄贈する会」代表
ジャーナリスト水間政憲;ネットだけ転載フリー
《http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-591.html?cr=ba5237382c263b508786a3b46575c7c8》
(条件;上記全文掲載)
**************転載ここまで*************************************
ノコノコと「バンキシャ」に出演した原聡子
会見前に薬を入れたであろう越前谷知子
故中川昭一財務大臣朦朧会見を仕組んだロバート・ゼーリック
私はこの事を決して忘れないし、許せません!
ちなみにバチカンからの手紙の内容を紹介します。
●バチカン神父が見た“あの日”の大臣
バチカン放送局 神父 和田誠
私は今、日本から送られてくる報道に、
大きな戸惑いと、深い悲しみを抱いています。
私自身も関わった中川前大臣の博物館見学が、
何故あのように、事実と異なる形で報じられるのでしょうか。
私は見学の間中、
通訳として中川前大臣の最もお側近くにおりましたが、
報道のような非常識な行為を、見た記憶はありません。
また、中川前大臣はあの時、酔っているご様子には見えませんでした。
私はアルコールを一滴も受けつけませんので、その臭いには敏感です。
しかし中川前大臣からは、お酒の臭いはしませんでした。
以下、日本の報道のどこが事実と異なっているか、ご説明したいと思います。
今回の問題を最初に報道した朝日新聞に、こう書かれています。
《(バチカン博物館に)到着時から
中川氏の足取りはフラフラとおぼつかなく、
言葉もはっきりしなかったという。
案内役の説明を聞かずに歩き回ったほか、
入ってはいけないエリアに足を踏み入れたり、
触ってはいけない展示品を素手で数回触ったりした。
そのために警備室の警報が少なくとも一回なったという》
足取りがふらふらしていたかは、見る人の主観によるものでしょう。
しかし言葉がはっきりしなかったとは、
いったい誰が言っているのでしょうか。
見学の間中、中川前大臣とお話したのは通訳であった私です。
中川前大臣の言葉は、非常にはっきりしておりました。
「案内役の説明を聞かずに歩き回った・・・」というのも、
おかしな話です。
案内役とはイタリア人ガイドの事でしょうが、
彼女のイタリア語の説明を中川前大臣が聞けるはずがありません。
中川前大臣は、私の通訳を聞いていたのです。
私が通訳をしている間は、。
もちろん歩き回りなどしませんでしたし、非常に熱心に耳を傾けておられました。
「入ってはいけないエリアに足を踏み入れたり、
触ってはいけない展示品を素手で数回触ったりした」というのも、
私には大いに疑問です。
少なくとも私は、明らかに非常識とされる場面は目撃しませんでした。
一つだけ心当たりがあるとすれば、
朝日新聞の記事に出てくる次のような指摘です。
《バチカン博物館でも特に有名な、
「八角形の中庭」の「ラオコーン」像を見学した際には、
観光客が近づき過ぎないようにするための高さ三十センチのさくを乗り越えて
石像の台座に座るなど、非常識な行動をとったという》
この時の様子は、私も覚えています。
さくというのは誤りで、実際はロープでしたが、
中川前大臣がラオコーン像に見入るあまり、
ロープを越えて近づいたのは確かです。
このため、そばにいた警備員がイタリア人ガイドに一言二言注意しましたが、
中川前大臣はすぐ戻ったため、特に問題にはなりませんでした。
「石像の台座に触る」こともしていません。
記事が指摘するような「非常識な行動をとった」とは、
私を含め周囲の誰も思わなかったことだけは、述べておきたいと思います。
バチカン博物館は規模が大きく、普通に見学すれば五~六時間はかかります。
そこを一時間半ほどで見て回り、
しかも世界最大級の教会堂建築として知られる
サン・ピエトロ大聖堂まで見学したのですから、
相当な急ぎ足で、とても「フラフラ」できる余裕はありませんでした。
しかし、十分な時間はとれなかったとはいえ、
このときの見学は、とても有意義であったと私は思っています。
中川前大臣は私に、美術と歴史に関する事を、
とても気さくに話しかけて来られました。
お話の内容から、とくに古代ローマへのご関心が高いようでしたので、
私はイタリア人ガイドに指示して、
ローマ美術とそれ以前のエルトリア美術を展示してあるコーナーを
集中的にご案内しました。
私は通訳の役目を、十分に果たしたものと満足にしていました。
ところが一週間後、あのような報道がなされたのです。
この間、バチカンで中川前大臣の
「非常識な行動」が話題になった事は全くなく
(そもそも非常識な行動などなかったのですから
話題にならなくて当たり前ですが)、
それこそ寝耳に水の思いでした。
朝日新聞の報道ののち、
私は日本の新聞社、通信社、テレビ局から取材を受け、
事実かどうかと聞かれました。
そこで、中川前大臣の行動に非常識な点はなかったと
繰り返しご説明したのですが、
私の発言は一行も報じられませんでした。
日本のマスコミはすでに、
中川前大臣は酔っていたはずだ、非常識な行動をしたに違いない、
という先入観にとらわれており、
私の意見をまともに聞こうとはしなかったのでしょう。
どの報道も朝日新聞と似たり寄ったりだったことは、残念でたまりません。
中川前大臣には、ご同情申し上げます。
また、御家族をはじめ身近な人たちのご心痛を思うと、やり切れない思いです。
私はたまたま通訳として、今回始めて中川前大臣とお会いしましたが、
その場にいたものとして、
事実と異なる報道で苦しんでおられるのを見過ごすわけにはいきません。
このため取材にも積極的に応じてきましたが、
記者たちの先入観を改めることはできませんでした。
今はただ、バチカン観光における誤解が一日も早く解け、
皆さまに心に平穏が訪れるよう、祈るだけです。
正論2009年5月号 P100~101
--------転載ここまで---------
中川昭一氏の酩酊会見、失脚、死
すべて仕組まれていたんですね。
ロバートゼーリックが仕組んだかもしれませんが
その片棒を喜んで引き受けて、ウハウハで中川さんを罠にかけたのは
反日韓国朝鮮人が支配するマスゴミと反日どもですからね。
中川さんを失脚させた関係者ほとんどが昇進しているといいます。
仕組まれた殺人事件ってことですね。
中川さんは日本で唯一
中国韓国北朝鮮アメリカにはっきりものが言える政治家でした。
日本を愛し、日本人を愛し、
日本を守ろうと頑張っておられた政治家でした。
酩酊会見をおもしろ可笑しく見ては、中川さんをバカ扱いしていた日本人は猛省しないといけません。
ほんとにほんとに日本にとって、日本人にとって
大きな大きな財産を亡くしたんです。
にしても反日どもって、時間とともに中川さんのこと
日本人が忘れるとでも思ってんのかね?
原もノコノコテレビに出やがって。
忘れませんよ。
忘れないし、忘れさせないように
時期をみては、要所、要所で記事にして拡散していこうと思っています。
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Posted by 沖縄大好き! at 12:10
│在日の反日韓国朝鮮人