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2010年06月14日

昭和天皇とマッカーサーの会見 そして日教組教育

日米同盟安保破棄の革命の拠点になっている沖縄は日教組教育の汚染が酷い。
天皇、日の丸、君が代は悪、戦争は天皇がおこしたもの、天皇は悪人、天皇は戦争の象徴、のように、散々な教育を受けました。
そしてなお、天皇に対して歪んだ感情を持ってる人は多いと思います。
ネットをやるまで、私がそうでした。
沖縄の人をここまで苦しめた天皇は恥をしれ!!とまで思っていました。
正確に言えば、思わされていました。

しかし全然違ってたんですよね。。
自分で調べもしないで、安易に日教組教育を信じ、天皇を歪めた自分こそ恥を知るべきです。

ネットにはいろんな資料が溢れてますが
歴史さんのブログから、昭和天皇のエピソードをご紹介させて頂きます。
http://ameblo.jp/create21/entry-10422304507.html



ーここからー


1945年9月27日午前10時、

昭和天皇を乗せた車は、マッカーサーの待つ

アメリカ大使公邸の門をくぐりました。

大使公邸の玄関には、マッカーサーの姿はなく、

出迎えたのは、2人の副官だけでした。

マッカーサーは、

昭和天皇を出迎えも見送りもしないと決めていたのです。

昭和天皇は、通訳と二人だけで奥の部屋に向かいました。

昭和天皇とマッカーサーの会見 そして日教組教育


会見について、日米両国政府は、

未だに何も発表していませんが、

マッカーサーの回想記には、

この日の模様が記されています。

昭和天皇は、

「敗戦に至った戦争の、いろいろの責任が追求されているが、責任は全て私にある。

文武百官は私の任命する所だから、彼等には責任はない。

私の一身はどうなろうと構わない。

私は貴方にお委せする」

「今回の戦争の責任は全く自分にあるのであるから、

自分に対して、どのような処置をとられても異存はない。

戦争の結果、現在国民は飢餓に瀕している。

このままでは罪のない国民に多数の餓死者が出るおそれがあるから、米国に是非食糧援助をお願いしたい。

ここに皇室財産の有価証券類をまとめて持参したので

費用の一部に充てて頂ければ仕合せである」

とおっしゃったのです。

マッカーサー、GHQは、

昭和天皇に関して相当調べていました。

昭和天皇が戦争を回避し、反戦を主張していた事も当然解っていました。

しかし、昭和天皇は、

戦争責任は全て自分にある
とおっしゃったのです。

それを聞いたマッカーサーは、

「私は大きい感動に揺すぶられた。死をともなうほどの責任、

それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、

明らかに天皇に帰すべきではない責任を引受けようとする、

この勇気に満ちた態度は私の骨のズイまでもゆり動かした。

私はその瞬間、私の前にいる天皇が個人の資格においても、日本の最上の紳士である事を感じとった」

と回想記に記しています。

昭和天皇とマッカーサーの会見 そして日教組教育

35分にわたった会見が終わった時、

マッカーサーの昭和天皇に対する態度は変わっていました。

マッカーサーは、予定を変え、

自ら昭和天皇を玄関まで送ったのでした。

マッカーサーにとって、最大の好意の表れでした。


ー転載ここまでー

いかがですか?いろんな感じ方があると思いますが
私は懺悔の気持ちと同時に日本人で良かったという気持ちがわき上がってきました。



一番下の動画では上記の記事の通り、迎えもしなかったマッカーサーが、会見後は昭和天皇を見送っています。

【昭和天皇とマッカーサーの会見を通訳官が証言 The testimony of the interpreter】

【昭和天皇】 マッカーサーとの会見 1 1945年 (昭和20年) 9月

【昭和天皇】 マッカーサーとの会見 2 1945年 (昭和20年) 9月



私は天皇に対して相当歪んだ思想をもってましたし、そう教えられてきました。だから今度は昭和天皇がどういうお方だったのか、真っ白にして、調べていこうと思ってます。
何十年もの間、日教組教育に洗脳されてましたから、それはもう終わりです。
私は日教組教育=日本を歪める工作機関を断固拒否します。

私は私の意思で調べ学びます。


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Posted by 沖縄大好き! at 10:00 │皇室 天皇陛下