2011年06月19日
拷問蝋人形 その真実
引用もとはこちら
支那には南京虐殺事件の資料館があり、朝鮮には日帝支配資料館があります。
下の写真は、韓国「大韓民国独立記念館」にある、日本人による韓国人への拷問の様子を等身大の蝋人形で、展示してあるものです。
ちゃんとハングル文字で開設もつけられていて、要するに、日本帝国主義者が、我ら同胞にこのような非道をしたから、自分たちはたちあがり、民族の独立を図ったと書いてある。
残酷な仕打ちをしているのは、日本統治時代の憲兵や警察官であり、殴られているのは朝鮮人だとしています。
要するに韓国の独立記念館には、日本官憲による独立運動家に対する拷問の光景を再現した蝋人形が展示され、日本人は残虐な民族だという強烈な印象を訪問者に植え付けようとしています。
韓国では、この記念館が小中学生の修学旅行の定番コースとなってます。
当然、ここにやってきた韓国の小・中学生たちは、当然日本への恐怖と憎しみをかきたてられる。
というか、こういうものを小中学生に見せようとする神経がそもそも異常です。
ところが、です。
実際には、ここに展示してある日本軍の服を着た憲兵や、征服警官が、実は拷問を受けている朝鮮人と同じ朝鮮人だと知ったら、彼らはどう思うのでしょうか。
憲兵も警察官も、地域の防犯を担う者です。犯罪の予防を図り、犯人を捜し、検挙し、尋問するのは、言葉や地理に詳しい朝鮮人が採用された。つまり日本は、朝鮮人を補助員として起用したのです。
なぜかというと、言葉が通じない。ですから直接の取調べは、言葉の判る朝鮮人にやらせていたのです。つまり、展示の拷問をしていたのは、朝鮮人であるにほかならない。
日本は、明治43(1910)年の日韓併合のとき、韓国の警察制度の近代化を図りました。
警務総長には日本の憲兵司令官を当て、憲兵と警察を一元化したのです。
なぜ軍の憲兵と警察の一元化を図ったかというと、朝鮮人官憲による横暴、拷問、暴力、強姦が、あまりに無差別に行われていた。
さらには、当時「義兵」などと称して朝鮮人達が行った山賊団による犯行、親日派韓国人へのテロ行為を防ぐためには、断固とした措置が必要でした。
ですから日本は、朝鮮を統治するにあたり、警察力と軍事力を融合させたのです。
そして憲兵・警察の補助要員として韓国人を募集しました。
当時、日本人の憲兵は、1007人。韓国人の憲兵補助員が1012人です。
日本人の巡査は2265人、韓国人の巡査は3428人です。
いずれも韓国人の方が多かった。
そして日本は、法律をつくって拷問を禁止しました。
にもかかわらず、法の執行を行うべく採用した朝鮮人補助員たちは、これまでの宿怨を日本の権力を借りて晴らそうとした。そして同胞であるはずの朝鮮人たちに、過酷な暴行をはじめてしまいます。
実は、それが上にある蝋人形の実際の姿だったのです。
ーーーーーーーーー
蝋人形についてもいいかげんにしろ!と思いますが
この記事を読むと朝鮮民族が事大主義というのがわかります。
その歴史で生き残ってきたといっても過言ではないでしょう。
朝鮮民族は生き残る為にあっちについたりこっちについたり、強いところにひっついてきた。
日本軍が有利のときは日本軍に媚び、日本が敗戦したら、いきなりソ連軍になびき、日本人女性のいる家を教え、ソ連兵は強姦虐殺を繰り返しました。生きていたものは朝鮮人が強姦虐殺しました。
今日の友でも明日には殺してます。
そういうDNAですね。
日本人女優もその被害者です。
画像クリック
そして下から2番目の画像ですが、
足に棒を挟んで拷問してます。
この拷問は朝鮮人がやっていた定番の拷問だそうです。
続きはこちらから↓
http://nezu621.blog7.fc2.com/?mode=m&no=762&photo=true
支那には南京虐殺事件の資料館があり、朝鮮には日帝支配資料館があります。
下の写真は、韓国「大韓民国独立記念館」にある、日本人による韓国人への拷問の様子を等身大の蝋人形で、展示してあるものです。
ちゃんとハングル文字で開設もつけられていて、要するに、日本帝国主義者が、我ら同胞にこのような非道をしたから、自分たちはたちあがり、民族の独立を図ったと書いてある。
残酷な仕打ちをしているのは、日本統治時代の憲兵や警察官であり、殴られているのは朝鮮人だとしています。
要するに韓国の独立記念館には、日本官憲による独立運動家に対する拷問の光景を再現した蝋人形が展示され、日本人は残虐な民族だという強烈な印象を訪問者に植え付けようとしています。
韓国では、この記念館が小中学生の修学旅行の定番コースとなってます。
当然、ここにやってきた韓国の小・中学生たちは、当然日本への恐怖と憎しみをかきたてられる。
というか、こういうものを小中学生に見せようとする神経がそもそも異常です。
ところが、です。
実際には、ここに展示してある日本軍の服を着た憲兵や、征服警官が、実は拷問を受けている朝鮮人と同じ朝鮮人だと知ったら、彼らはどう思うのでしょうか。
憲兵も警察官も、地域の防犯を担う者です。犯罪の予防を図り、犯人を捜し、検挙し、尋問するのは、言葉や地理に詳しい朝鮮人が採用された。つまり日本は、朝鮮人を補助員として起用したのです。
なぜかというと、言葉が通じない。ですから直接の取調べは、言葉の判る朝鮮人にやらせていたのです。つまり、展示の拷問をしていたのは、朝鮮人であるにほかならない。
日本は、明治43(1910)年の日韓併合のとき、韓国の警察制度の近代化を図りました。
警務総長には日本の憲兵司令官を当て、憲兵と警察を一元化したのです。
なぜ軍の憲兵と警察の一元化を図ったかというと、朝鮮人官憲による横暴、拷問、暴力、強姦が、あまりに無差別に行われていた。
さらには、当時「義兵」などと称して朝鮮人達が行った山賊団による犯行、親日派韓国人へのテロ行為を防ぐためには、断固とした措置が必要でした。
ですから日本は、朝鮮を統治するにあたり、警察力と軍事力を融合させたのです。
そして憲兵・警察の補助要員として韓国人を募集しました。
当時、日本人の憲兵は、1007人。韓国人の憲兵補助員が1012人です。
日本人の巡査は2265人、韓国人の巡査は3428人です。
いずれも韓国人の方が多かった。
そして日本は、法律をつくって拷問を禁止しました。
にもかかわらず、法の執行を行うべく採用した朝鮮人補助員たちは、これまでの宿怨を日本の権力を借りて晴らそうとした。そして同胞であるはずの朝鮮人たちに、過酷な暴行をはじめてしまいます。
実は、それが上にある蝋人形の実際の姿だったのです。
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蝋人形についてもいいかげんにしろ!と思いますが
この記事を読むと朝鮮民族が事大主義というのがわかります。
その歴史で生き残ってきたといっても過言ではないでしょう。
朝鮮民族は生き残る為にあっちについたりこっちについたり、強いところにひっついてきた。
日本軍が有利のときは日本軍に媚び、日本が敗戦したら、いきなりソ連軍になびき、日本人女性のいる家を教え、ソ連兵は強姦虐殺を繰り返しました。生きていたものは朝鮮人が強姦虐殺しました。
今日の友でも明日には殺してます。
そういうDNAですね。
日本人女優もその被害者です。
画像クリック
そして下から2番目の画像ですが、
足に棒を挟んで拷問してます。
この拷問は朝鮮人がやっていた定番の拷問だそうです。
続きはこちらから↓
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Posted by 沖縄大好き! at 12:00
│歴史 ベトナム戦争 鬼畜韓国朝鮮人