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2010年08月13日

沖縄へ向かった戦艦大和の使命

戦後、アメリカのGHQ、日教組によって、めちゃくちゃに歴史は歪められ、そのウソの歴史を沖縄の人に刷り込みました。
そして沖縄の人は、疑いもせず信じて信じて信じています。沖縄は言論の自由がありませんから、仕方がなかったことはよくわかります。
しかし今は時代もかわり、簡単に情報が手に入る時代になりました、それなのに調べようとしないウチナンチュが多い事に嘆いています。

もちろん、沖縄県民の中にも、親から正しい歴史を教えられ、洗脳されることなく今に至っている県民もいます。その親は素晴らしいと思います。

洗脳された人の話しでは例えばこういうのがあります、
『日本軍は酷いことしたんだよね!沖縄の人殺したんだよね!白旗の少女を楯にして後ろからついてきよったってね!子供を楯にして日本兵は酷いやっさ〜』
というのよく聞きます。

それを決めつけて言うのなら、その発言は何をもとに話しているんでしょうか。
もし、テレビでやってたから、誰かが言ってたからで言ってるなら、沖縄戦について話すのはやめたほうがいいです。あまりに軽すぎて無責任です。

戦後、日本兵がありもしないことをでっちあげられ悪人に仕立てられてることに胸を痛め、私が白旗の少女です、と比嘉富子さんは名乗りでました。

そしてこう証言してくださいました、『たまたま、私の後ろから歩いてた兵隊さんなんです、楯になんかしていません、すれ違った兵隊さんもいます、みなそれぞれ帰る途中でした』と。(白旗の少女より)
もし比嘉富子さんが名乗り出なかったら、この兵隊さんは何もしてないのに、私たちはこの兵隊さんを永遠に罵倒してたことになります、酷いと思いませんか?

だから、自分の目で自分の心で真実を見るまでは、刷り込まれたウソの歴史を信じるのはやめましょうよ。


よく沖縄では、沖縄県民を見捨てたとか捨て石にしたとか言われてますよね、
冷静に考えてみてください、
なら、なぜアメリカにやりたい放題攻撃させなかったんですか?捨て石なら沖縄県民全員が殺されてたんじゃないですか?わざわざ日本軍は沖縄に来ないで、遠くから見ていれば良かったんじゃないですか?
と疑問を持つのが普通の感覚ではないですか?


日本本土攻略のための航空基地・補給基地を確保するために、最重要地点である沖縄を選び攻略しようとアメリカが攻撃したのが沖縄戦ですよね、
非戦闘員を殺してはいけない法律がありますが、それをことごとく無視しゲームのように沖縄人を殺す独裁アメリカ軍ですよ、じゃあ日本軍が戦わなかったら、どうなっていたでしょうか。やりたい放題のアメリカに抵抗しなかったら、沖縄人は全滅してた可能性だってあります。

戦争です、やるかやられるか普通の精神状態ではありません、殺し合いです。自分も生きるために県民を護るために、敵を殺したのは悪いことですか?

県民を護る為に死んで悪く言われるなら、沖縄に行かなければよかった、ってなりませんか?
日本兵が沖縄に戦いに来なかったら
そうしたら、今私たちの誰かは生まれていませんよ。


日本兵は沖縄を護る為に県民を護る為に国を護る為に、愛する家族があったにもかかわらず命を捧げて死んでいったんです。17、8才の少年兵もたくさんいました。見事に沖縄の土になってみせます!と沖縄で戦死されました。
彼らのお陰で今の暮らしがあるのに、真実も調べようとしないで、クーラーの中で美味しいご飯を食べながら、彼らをバカにするのはやめましょうよ。

どうしたんだウチナンチュ!と言いたくなります!人情味に溢れ、いちゃりばちょーでーの精神を持ち、心優しいウチナンチュではないのか!恥ずかしくないのか!



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このような記事があります。ぜひ読んでください。
物のない時代に女性の生理用品を賢明にかき集め戦艦大和に積み沖縄に向かいました。

偏った歴史観を見直す「かつて日本は美しかった」 より。
http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/18759277.html


 1945年4月7日菊水作戦において米軍機動部隊の延べ380機以上の航空機による猛攻撃を受け沈没した戦艦大和ですが、なぜこの作戦が行われたか、本当に片道燃料だったのか、諸説あるようです。一億総特攻の魁(さきがけ)として作戦が立てられた、沖縄突入はハナから無理だがムードに押し切られてで作戦が決まったとか、沖縄県民を救えという機運の高まりから発案されたとか色々聞きます。
 
 沖縄県出身のジャーナリストの恵隆之介氏は防衛大学校時代に帝国海軍将校だった教官から「大和は犬死だったといわれているが、実は崇高な使命を帯びていたのだ。この事実を忘れてはならない。お前にだけは言っておく」と聞かされたそうです。この教官は大和に乗り込むはずだったが、直前になんらかの事情で取りやめになったようです。
 そして恵氏は昭和58年8月の「中央公論」に掲載された市橋立彦氏の文章を見つけます。市橋氏は塩野義製薬の原料課の係長でありながら「海軍大尉待遇嘱託」として軍でも働いていました。そのとき軍の療品廠長(軍の医療品調達部門)より命令を受けます。
「本日より一週間以内に、歯磨、歯ブラシを各50万人分、美顔クリーム25万人分、メンスバンド(生理用品)15万人分を調達するために、協力してほしい。理由はいえない。直ちにカカレ」
 軍需品ではなく、民生用品であることは明らかです。そして市橋は物不足の時代の中なんとか掻き集めます。
沖縄へ向かった戦艦大和の使命
(クリックで拡大)

 ・・・そして大和沈没。療品廠長がこう言います。
「市橋君、われわれが共に一週間たたかったあの四品目は、大和に積んだそうだ。沖縄県民のために残念なことをした。市橋君、本当にご苦労だった」

 この話を裏付ける証言や物証が今のところ無いので歴史の観点から確かなこととはいえませんが、作り話か?と考えると、昭和58年当時このような話を作っても意味がなさそうで、作るなら民生品という発想はないでしょう。真実と考えてもいいと思っています。そうするとやはり大和は沖縄にたどり着くことを前提においた作戦だったのか。一戦艦といくらかの駆逐艦で突っ込んでくるような作戦たてないだろうと米軍の意表を突く作戦か。佐世保へ行くのだろうと米軍に思わせて沖縄へ突入する作戦だったのか?

 軍事機密であるため大和乗組員もごく一部の高級将校しかしらない話なので真相はなかなかわからないかもしれません。戦艦大和を引き揚げる話がありますが、もし、この民生品あるいはこれ以外の民生品が出てくれば沖縄戦の見方も結構変わるかもしれません。


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沖縄戦で戦死された沖縄県民、日本兵、地元沖縄の兵士たち、
その方たちの犠牲の上に今の私たちの暮らしが成り立ってると確信してます。
私の伯父は徴兵として私たちを護るために戦い米軍の攻撃で戦死しました。今生まれてこれたのは、命を捧げた伯父がいたからです。
沖縄兵は沖縄人だから良いけど、日本兵は許さんという理論があれば、それは傲慢そのものです!あまりにも酷すぎます!同じ護るという目的の為に戦った同士なのに!

そして戦ったことを悪としすべて否定するウソの歴史は絶対に受け入れられません。
酷すぎます。悲しすぎます。


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Posted by 沖縄大好き! at 18:00 │大東亜戦争 沖縄 真実